敗戦を迎えて、英国から内政干渉があったらしいが、なぜ、貴族院を捨ててしまったのは、彼の国から失笑を買ってしまったという、敗戦の衝撃が64年も続くこの国の敗戦の衝撃のトラウマの根は深く、米軍基地が沖縄県に集中しすぎているのも、社会問題として切実であろう。日本国憲法に対し、異論を唱える、諸君!(文藝春秋社)の論客者の意見を聞くと、都知事の石原さんは米国憲法製、西部邁さんは、日本国憲法を廃止し、自主憲法の創設と「離米保守」を一貫として態度、信念が曲がらないようだ。岩波書店では日本国憲法に根ざした政権運営を続けることを謳っていらっしゃる。日本国憲法の出自は、様々な説があってNHKでは、敗戦当時の有識者、政治家、各省庁の官僚が創りあげた憲法であり日本国憲法は、あくまで我が国が創った叡智の結晶だと謳ってなさっており、象徴天皇制を護るよう、謳っていらっしゃる。保守派で慣らした、櫻井よしこさんに言わせれば、象徴天皇制の見直し改憲すらも視野に入っており9条も改憲すべきだとかなりの右派だと僕にはそう写る。しかし、論客者が様々な意見を述べても現実的には、憲法を新憲法にするなど、できない不可能だ。改憲されても一条か九条だろうし西部さんには申し訳ないけど自主憲法の制定など現実から乖離した、話だ。日本はアジアをリードし日本国憲法にあくまで拘泥するのかまたは、少子高齢化社会を迎えるとあって改憲に意欲を示すのか、総意は、国民の判断に委ねられる事態というのが現実路線ではないだろうか。ヤフーさんの「戦争は、イヤです」トピックスで憲法第九条を改憲すべきだとの国家の右傾化に危惧を覚える事態だが、戦争の惨状は風化されつつある実状に、心的負荷が大きくかかる。憲法第九条を改憲して、日本が海外で戦争のできる国として、追い込まれた高齢者の心情を傷つける暴論を繰り替えしている。たしかに、憲法第9条は武力の行使も威嚇も禁じられている条文だ。しかしながら僕はあえて発言したい。のいちごさんがおっしゃるとおり9条は着弾しても報復ができない憲法である。だが実際日本に核爆弾を投じる危機があるとすれば、北朝鮮の動向も見逃せない。しかし武力の行使で、他国を攻めれば、これからの未来を担う、若者にとってみれば若者のこの国の運営に期待が持てず、多大な心的負荷がかかるに避けることは出来ないとおもいます。僕も信念が揺れ動いて、明確の日本のこれからについてなにかがあるといえば実はないです。元々重責を与えられても信念に欠落しているので大言壮語はできない。専守防衛が九条の枠内で合憲なのであれば、異論はないのであるのだが、日本の安全保障問題は、日米同盟の強い絆がまた自衛隊の役割も、軍に返り咲く危険性は多分に秘めている。時代は大きく変わったが世界の各国が、鉾を収めているのであれば軍などの暴走は、常軌をいっしているし軍隊を持つことが日本史上においてどれだけの軍の暴走を鑑みるのであるならば自衛隊としての位置づけも、緊急的な自然災害における人民の救助に専念していただければ、僕は、自衛隊に優しい視点を送りつづけることに、なんら危機を覚えていない。自衛隊の諸君は、自らの仕事に自尊心ももっており、万が一に備えるだけの最小の軍備は日本は一独立を果たしている、我が国を危機から護るというプライドを傷つけてはならぬ。彼らの使命は国家を護ることに大きな使命を感じ取っているのだ。生死の地獄がかすめるこの国の防衛に彼らの力なくして国家の隆盛も謳いつづけることは、不可能であろう。日本の経済隆盛復活に、こころより、願いながら、筆を置くこととする。世界情勢は、混乱の極みにあるというのが、実状です。戦争が再び、勃発することも、世界的視野では、逃れない事実でしょう。環境異変の闇だけでなく、戦火の惨禍も人類発祥して一度も避けられない苦渋の惨劇を世界は謳っている。やはり憲法第九条も謳っているが自衛隊の存在はどう見ても武力の行使、威嚇は厳しく禁じられているが、実際は、自衛隊は武力装備している。日本国憲法第九条は、風前の灯火だ。戦火の悲惨を知らずに、国民の中では、戦争勃発を国是するべきなどと、戦争の惨状の記憶は風化され忘れ行く先人たちのお気持ちを踏みにじるような暴挙に若年層、中年層は、戦争の惨劇を知らないんだな、と、僕は失意のどん底に落ちてしまいました。なんで戦争の遂行に良心の呵責を覚えないのか。怒りを通り越えて唖然としている。おそらく彼らの人生の岐路に生命の危機を自分の人生において覚えたことがなかったのであろう。彼ら戦争遂行に良心の呵責に心中に覚えないのは無責任な戦争アニメの見すぎではないだろうか。また自己の人生において死ぬかもしれないという、人生を味わったことのない、順風満帆な人生を歩んで、あまりに、戦争観が幼い証拠だ。時代は変わったのですねぇ。人の命を平然と奪うことにためらいのが無いのか。戦争の記憶は、僕が想定する以上に風化が避けられない。生意気かもしれないが新人類は戦争の惨禍の臨場感を知らずして成人を迎えて精神があまりにも未熟で稚拙化しているのが、現代の若者の像であろう。人を殺してなんの罪の意識もないのか。僕は失意のどん底で死ぬことになるのかもしれない。二葉百合子さんの「岸壁の母」にしても傷痍軍人さんも知らないのであろう。平成の若者は本当にダメだよ。それは人類発祥以来、若者の暴走ぶりには、警鐘を鳴らしつづけたのであるのだが、戦争の記憶の風化は、戦争という極限状態とあってあまりに戦争の惨劇を無視している、または理解の範疇を越えているのか、日本はそのうち沈没するであろう。経済弱者が国会議事堂を囲み、下手をすれば内乱の危機も切実としている。人間は、バカと阿呆の繰り返しで、賢者は歴史に学ぶが、愚者は、体験で学ぶのであろう。もし、核戦争に至るのであれば、反省するまえにもう、あの世行きだよ。歴史は、再び繰り替えされる。戦争の記憶が風化されつつある、現代日本を窺うとあって戦争遂行に良心の呵責を覚えない人たちも増えた。これが日本の国防にたいする悲観とそして9条を消せ!という、暴論を唱える人たちも昔の日本人よりずっと増加傾向にあるようだ。9条が国防の足かせになっているとは、確かに、その論理の根拠が間違っているとは、そうは思えない時も確かにある。だが、9条は現代を生きる我々の安全保障面に対する、危機意識の欠落が、暴論を呼び覚ましているのであろうか?日本の敗戦の衝撃の根は深く、米軍基地が沖縄県に集中しすぎているという、異常さは、確かにある。戦後64年を過ぎて、米軍基地が、どうどうと居座ることに、敗戦の衝撃のトラウマの根の深さを切実と感じるのは、僕もそうだ。自国の安全保障を米国に任せている惨状は、確かに、日本は一独立国として、軍備が最小限度に抑えられ、自国で、自国を護れない、そのふがいなさを感じるのも、また、僕も、そう思う。そもそも、幕末にあたって、日本が開国に当たっても、米国の強(したた)かさで、日本を極東アジアの軍事拠点として、米国の野望を感じぜざるを得ないときもあり、日本は欽定憲法下とあって、脱亜入欧、富国強兵を高らかに謳い、中国、朝鮮半島の国々を蹂躙し続け、極東アジアの一等国として、その野望はアジアを植民地化させることに、邁進し続けた。だが、現代日本に、その野望は尽いえた。敗戦の衝撃で、南樺太、千島列島、北方領土、沖縄県を失い、三国同盟の日本、イタリア、ナチス・ドイツと、連合国軍との壮絶な死闘を繰り広げたのは、たった、70年前の昔に史実であったことは否めないし、ムッソリーニ率いるイタリアと、ヒトラー率いるナチス・ドイツが敗戦し、無条件降伏を受け入れる事態に当たって、ポツダム宣言を無視し、日本は、本土決戦に至り、一億総玉砕に当時の軍部は、国民に強いらせ、神国日本が負けるはずがないと、不敗神話に日本国民を踊らせ、B29が本土を襲った。原子爆弾の2度の投下。日本は、末梢神経に至るまで、病魔は、日本を襲い、立ち上がることが完全に不可能になるまで、叩きのめされた。そして、サンフランシスコ講和条約により、日本の政治機能、経済機能、文化機能は、麻痺し、間接統治下、GHQに、大日本帝国憲法に代わる、日本国憲法の制定をマッカーサー元帥に強いられたのは、紛れもなく、史実であろう。そういう意味では確かに、日本国憲法の誕生秘話には、屈辱感があったのも、それまた、事実であろう。9条が足かせになるのか。政府は、憲法調査審査会を開き、日本国憲法、第一条と第九条を改憲させることに、特に、与党は、意欲を燃やしている。野党は、反対の姿勢を崩してはいないのであるのが。時代は変わった。戦火の悲惨さを知るご老人は口を閉ざし、戦後生まれは、国民の四分の三を占める事態に陥り、戦火の臨場感を知ることは、全く無くなりつつあるのも、これまた、脅威だが、やはり、人間、愚かな生命体なのであろう。取り返しのつかない、戦火は、再び、人類は、起こすのであろう。救済しようのない、この愚かな知的生命体に、僕は、死の臨場感を深めるばかりで、孤立し、我が身の情けなさを噛み締めるだけに僕の暗転してしまった人生は、ピエロのように、踊りつづけるだけだ。宗教の謎を科学で暴くのは、やはり、躊躇せざるをえないような気がする。でも、科学者はチャレンジャーだから、やはり、宗教の謎を科学で探るのであろう。しかしながら、バチカン市国の権威あるキリスト教の謎を暴くとあっては、個人的には、仰天させられるざるを得ない。トム・ハンクス主演の「天使と悪魔」が上映されるようだが、バチカンの権威に挑戦するなど、僕には、とても畏れ多い話だ。イエスの神性が科学で暴かれるとあっては、人倫に基づく我々の宗教観もぐらついてしまうのではないかと危惧を覚える。科学も度がすぎれば、我々の命運も尽きてしまうであろう、その脅威に枕を高くして眠れない夜を度々、迎えることにはならないでしょうか?人倫が完成されるのは、18歳くらいでほぼ、ここで、人格形成期を終えるものだと僕はそう思う。権威あるバチカン市国の教皇が暮らしている現実。初代、教皇はペテロだそうだ。イエスが最後の晩餐を迎えた後、法的には、全くの無実で、処刑された、イエス・キリスト。イエスが亡くなったあと、聖人パウロが西ヨーロッパ諸国で、布教活動をなさったそうですが、当時の西ヨーロッパ諸国の人倫荒廃は目に余る事態であった。パウロはひたすら、低姿勢で、人倫荒れた大地に布教活動に余念がなく、キリスト教はやがて、世界宗教に至るまでになった。今日の報道で、統一教会の詐欺事件を報道していたが、韓国にも、衝撃走る事件の勃発だと、僕は思う。幼児期は、キリスト教の影響の強い保育教育を経て、僕は信者ではないが、神はやはり、僕にとっては、イエスさまなのであろう。狂気に陥り、叫んだ言葉は、「ジーザス・クライシス」だった。9・11も死がくっきりし、「OH My God! 」だった。理性を欠いたブッシュ前大統領は、イラクを攻撃。テロ支援国家に指定し、日本の学者内では、米国のイラクに対する戦争行為を、「侵略戦争」と命名した。我が国にとって、国家の安全保障は、異論は様々あっても、やはり、米国の後ろ盾無くして、平和の維持を謳えることのない現実を如実に示している。確かに、戦後64年が経過するとあって、自国の安全保障を他国の軍事基地にとって代わって平和維持を謳っている以上、「異常事態」と呼称されれば、そのままであるのだが、それだけに、日本の敗戦の仕方は、想像を絶するほどの危機であったのだろう。敗戦当時、国民は、飢餓を覚え、次々と餓死してゆき、その光景は、まさしく、「地獄絵図」であったであろう。憲法審査会の発足も、「戦後」という言葉からやがて、離れ、戦争体験者がこの世の人でなくなっていく、戦争を伝えて行く姿勢では、確かに、切実な事態であり、二度と戦争を勃発させないは、政府の高官も願っている。米国は戦争遂行が違法ではないので、日本は、今後、どのような国造りをしてゆくのか、総理を始め、閣僚の発言は重い。世が和平に満ち満ちてゆくことを願いながら、日本は、日本で、未来のヴィジョンをどう描くのか、課せられた宿題は重すぎる。 大天使ガブリエルが、マリアさまに受胎告知をし、救世主が誕生するという神との契約があったとは、科学的には、あまりに、信じがたいことです。恐らく、救世主誕生とあって、なにかしら、星座が広がったと推測していますが、救世主誕生秘話には、恐れをなした王が、救世主誕生にあたって、イエスが誕生するさいに、赤ちゃんを次々に殺害してしまったという話を聞いた覚えがあります。神がかりとも思える、イエスの奇蹟は本当なんであろうか?僕も近所の大病院がキリスト教の影響のつよい大病院なので、新約聖書とか、無料で頂けるのですが、内容は、神がかりとなっています。まぁ、科学文明に侵された僕の頭脳とあっては、到底、信じがたいとしか、評論のしようがないのだが、でも、その奇蹟を信じてみたいという気持ちも、あります。それだけ、僕にとっては、イエスさまの存在は、大きく、ただ、史実に基づくのであるならば、イエスの生涯って、今の考古学では、謎のままであるというのが現実で、生まれも最期もイエスの一生は謎めいているというのが死海文書を探る考古学者にも、ましてや、僕のような一般市民でも、よくわからないというのが率直な感想ですまた、人生の岐路において、上司からの連続する暴言・暴力・過酷な勤務とあって、発狂にいたった経緯があり、独り言をぶつぶつ言いながら、僕の心的負荷はピークに達し、母が、4月20日生まれとあった、偶然にも、運命を感じさせる時があり、なぜか、地獄の最下層で、アドルフ・ヒトラーに出会ったのも、これまた、身に起きた事実でした。12歳まで、神童と呼ばれ、20歳で、秀才、26歳を越えて、凡人になり、42才とあって、障害者になってしまいました。身銭を稼ぐことがほぼ絶望的と思われる、今を生きる僕ですが、清掃企業で、1年間、お世話になったのですが、それは、待遇は良かったです。しかしながら、幻覚がどんどん、酷くなり、結局、その会社も退職せざるを得なくなり、今は、ひっそりと精神疾患の治癒に向けて、時を過ごしています。他所様から見れば、堕落していると思われるでしょう。確かに、そうかもしれないが、他所様の税で暮らしていると思うと、身が引けます。生活がなんとか成立しているので、今はいいかもしれませんが、そのうち、僕は、天寿を全うできなくなるかもしれません。それだけ、僕が会社員から脱落したという衝撃と、それに伴う精神疾患の厳しさは、到底、文章で、表現しようのないほどの、生き地獄でした。ただそれだけ、人の苦悩に対する強い愛も分かるようになってきたのも事実です。人の愛が分かるのであるならば、実践してみせよ!と述べられるかもしれません。確かにそうです。僕は社会に還元することのできぬ、我が身を思えば、ゴミクズのような人間です。人間失格です。お金がないのです。ゆとりもありません。僕は何も語ることも許されぬ、最低の人間なのかもしれません。今日、道端を歩いていたら、笠ひろふみ民主党議員の演説を聞きました。話を聞いていたら、議院内閣制と、米国の政治体制との相違を指摘なされていました。それは、僕が以前に書き込んだ内容と全く、相違のないものでした。偶然に運命を覚えますが、どうも、神さまのご機嫌、麗しくなく、僕には、神さまは、冷たいのか、いや、そんなことはなく、天帝は僕をお守りなさっているのか、嗚呼、キリストよ!僕の人生をご覧になっていらっしゃるのであるならば、どうぞ、僕のささやかな人生をお守りくださいませ。両親も高齢になりました。それにつけて、妹も一級障害者です。母も一級障害者です。僕は二級障害者です。嗚呼、天帝よ。なぜ、その崇高なお姿をお見せなられないのですか。ええ、見ました。あなたの神々しいイエス像を。黄金のイエス像。キリストよ、どうぞ、僕のささやかな人生をお救いくださいませ。僕の人生がこれから、輝いてゆくことを密かに、僕は天帝を偲んでおります。嗚呼、イエスさま。僕は、まだ、絶命したくない。あなたのそばへ僕を返さないでください。僕はまだまだ、生きたいのです。よろしくおねがいします。天帝。厚生労働省のキャリア幹部の女性が逮捕された。テレビネタだけで、ことの真相は、分からぬ点は多すぎるが、社会で頑張っている女性諸君には、ショッキングな事件であったのかもしれない。まぁ、この話は文藝春秋社でも、その実態を暴く、記事が掲載されるであろう。まぁ、恐らくだが、彼女に身のゆるみがあったのではないかと、推測しているところだが、事態の深刻性を鑑みるとあっては、社会に衝撃を与えた事件であったとも思える。高等教育を授かった同じ人間として、悲しい思いをしなければならないのは、僕もそうだ。身辺を洗って、もう一度、キャリアを発揮して頂きたいと真摯に願う。舛添さんも陳謝ばかりで、なんだか、可哀想だなぁ、と。お母様の介護は壮絶だったそうで、舛添さんは、厚労相としては、的確な人物だと思った。ミスター年金の長妻民主党議員も、年金問題には、ご精通になさっているようですし、一度は、政権の座を民主党に明け渡してもいいのではないか?と凡人の僕はそう思った。今日の神奈川の空は、曇天だ。お天道さんもご機嫌、よろしくなく、そろそろ、梅雨時に入っても、おかしなことのない、季節だ。それにしても、環境異変の予兆は、人類そのものの、存亡を賭けており、極めて、事態は深刻だ。何度も、繰り返すようだが、これ以上、人間生活における、CO2の排出量を削減し、また、世界人口の爆発問題を抑制しないと、絶滅機種に追い込まれる、野生動物の被害も甚大です。戦火の脅威も世界的視野で、捉えるのであれば、人類発祥以来、一度も、恒久平和は、実現された例(ためし)がないという厳しさも叩きつけられている。エコ活動をするのは、日本国民に課せられた大きな宿題だけでなく、先進国が規制基準を守るだけでは、被害は甚大なものとなっていくのは、自明の理だ。環境異変の闇は、止まることを知らずして、今後の我々の生活にも、深刻な影響に至るであろう。また、日本の安全保障面、経済活動にしても、世界的恐慌とあって、厳しい現実に立たされているのも、国民の生活を脅かしている。何か、良策はないであろうか。放置しておけば、この先、我々の存亡は、首がしまるだけでなく、人間以外の他生物の活動にも、多大な問題が起こる。蒼天は、既に死しており、まるで、人類の最後通告を受けた、厳しさも必然としており、天意は人類の存亡の危機を案じているだけでもない。天は黙ったまま、原色を描くばかりで、その天意を偲べば結局、我々、人類は、神に選ばれた生命体ではなかったのかもしれない。なぜこの世の社会問題は、こんなに難解なものであるのであろうか。独り人生の岐路において、歩んできた半生を恥じて、僕のこれからの生き方は良心に恥じないような生き方を続けて行くのが僕にとっての、罪滅ぼしなのかもしれない。許してください。この悪人の僕を。改心したつもりだ。あの狂気とあって御仏の言葉を聞いた、あの「涅槃」という言葉がくっきりと僕の脳裏を掠めた。後遺障害に苦しむ、我とあっては意欲の充実が難しい。16年の地獄の日々は、確かに僕をより強くしたのかもしれない。僕の運命を握る、天の宿命に僕は、勝利者であったと高らかに今後の人生を謳歌しよう。お釈迦様にも僕は愛されたのか。そして、主にも。だから、僕は、恵まれ過ぎているのだ。貧困に苦しむ、数多の人生に謝罪しながら、今後の生き方に誠実であるよう、信念を持ちたいと思った。東京外語大学学長の亀山郁夫氏の話をNHKでしった。亀山さんがおっしゃるには人間が持つ普遍性の悲劇に「傲慢さ」が誰の心にも潜んでいると知って、大いなる畏れとイエスの復活にさいして、僕はあの時、最も信仰心が深まった一瞬でもあった。人生は全て、勉強で、僕は、いえ、私はこういう生き方をしました、と、またこのように、人生を歩き、学びましたと、神さま、仏さま、に死後、伝えるものだと僕の宗教観はこのようだ。人生は苦悩に満ち満ちており、苦しく、また、せつない。だけども、僕は、波乱にみちみちてゆくような自分の人生の岐路にあたって、心中はやはり苦しい。昨年、臨済宗のお寺に修行に行ったが、お寺での生活体験を4日間、耐えてみた。朝5時に起床。修行の3日めだったか、幻聴が出てしまい、幻聴は僕のことを「神」だと言うのです。その言葉に、僕は大いなる畏れと、贖罪意識を高め、神とう奇妙な幻聴がやがて、「イエスさま」にその内容が変わり、僕はいよいよ、頭がおかしくなってしまったと、失意しまた、神に対する畏怖心を高め、こんな神さまに対する冒涜をする自分のおかしな幻聴が、僕の精神の病理だと思うと、思わず、のけぞってしまった。僕はこんなに神に対する冒涜を繰り返すのであれば、死後の世界も約束されることはないであろうと、死後、地獄へと突き落とされるかもしれないと、怖さは、さらに高まった。僕は僕はで怖いし、他者も僕のことを恐れているのではないか?いや、それは認知の歪みであることは、熟知しているつもりだが、この意識レベルでどうすることもできない、幻聴に人生を振り回され、僕は精神医学的にはうつ病ともPTSDとも、統合失調症だとも言われているそうだ。困るのは働きに出ると幻聴のボリュームが上がり、2年前まで勤めていた清掃企業でフラッシュバックを起こし、僕があの大企業から失楽園したことへの怒りの暴発が恐らく幻聴に繋がったのではないのか?と予見している。ただでさえ、恐慌は、世界レベルで、どこの企業も経営に苦しんでおり、職を探すのが、健常者でも難しいという現実感は、では僕の就職はどうなるのかと問い詰められると、いったいいや全く職はないであろうとの、強い危機を覚え、狂った人生に、あの大企業への憎悪や恨みが意識的レベルでも未だに払拭できない自己の器量の狭さを偲ばせる思いだ。いったい、何度僕は自殺念慮に刈られたのであろうか。世情に振り回されるまるでサーカスのピエロのような半生だ、と好きな人もいなければ、恋愛にも臆病だ。今は両親とも自立ができるので、何とかなっているが、いつ両親に介護が必要になるのかも分からない。また、妹も、精神障害者第一級であり、母は透析通いの第一級身体障害者だ。人生は益々苦悩にみちみちてゆき、僕は苦悩から解脱なされたお釈迦様が羨ましいと、般若心経でも読んだほうがいいのではないのかと、でも、仏典や聖書に触れることが益々、自分の精神状態に悪くなるのではないのか、との恐れもあり、僕は権力も怖ければ、神さま、仏さまも怖い。午後になったら、母の病院までの送迎と、僕のがん検診を地元の病院で申し込む手はずとなった。普段から、自宅にひきこもりがちで、運動は全くやっていない。さらに、禁煙外来に行ったのだが、意志が弱く、結局、タバコとおさらばすることができなかった。僕のケースだと非課税世帯だということで、無料で、全身検査をしていただける、ことになっており、ただでさえ、苦しい毎日を過ごしている、健常者の税負担を思えば、悪い気持ちがしてたまらない。心の傷は深刻で、就労不可能だと、政府から烙印を押された。悔しい気持ちに嘘はつけないが、現代医学では、僕を治すことはほぼ、その可能性は非常に低い。今、MxTV で渥美清さん主演の「泣いてたまるか」を観ている。会社員の働く姿の本音が散見され、会社員の苦悩が偲ばれる。僕は、なんとかして社会に戻りたい。だが、突きつけられた課題は大きくまた、経済面での苦しさも否めない。なんで、こうも、生きることが辛いのか。ぶっ壊れてしまった僕の頭脳は、健康面だけの懸念に終始しているのではなく、広がる社会背景もまた、深刻度を増していると、この先どうなるのであろうか?僕は、将来に対する極度の悲観から、身を散らせてしまうのではないのか?と、両親のこれから起こる介護の実状もまた、深刻の度合いを増しており、僕は僕であまりに情けない。やっぱりどうしても、自分を責めてしまうんです。「意地が涙を!泣いて泣いてたまるかよぅ!通せん坊。ずちゃらかんか、ずっちゃらんかぁ。」

とほほ。